空飛ぶおねえさん旅日記

20代のころ、バックパッカーをしていたころの旅行記です...1980年代です...この時の旅が以降の生き方に影響を与えてくれました

中国 バックパック一人旅で気づいたこと

初めてのバックパック一人旅 のキッカケの続きです。

中国旅行のキッカケ 続き

会計士を目指して

新卒で入社しました ソフトウエア開発会社を勤めて3年で退職を決めました。資格がなくても出来るコンピュータプログラム開発の仕事より資格がなければできない職業につこうと思いました。

数字に強いと自身がありましたので、働いていても勉強がしやすい会計士を目指すことに。まずは、簿記の勉強を開始し、日商3級、2級、全商1級と、在職中に、夜、専門学校に通い、半年で取得し、この時点で、退職を会社に報告しました。

いざ、新しい職場を探すところになって...コンピュータの業界から離れるのが、無性に寂しいのです。何かを作り出す作業が好きです。プログラム開発は、とても私に向いている仕事と思っています。
それが、資格も何も必要なく、だれにでも出来る仕事だからという理由で、この業界から去ろうとしていました。

 

コンピュータ業界に再就職

考えたあげく、もう一度、同じ業界を試そう、社員が少ない会社に入れば、変わりがいないのだから、必要としてくれる、仕事をさせてくれるのでは無いかと思い、小さな、開発会社を探しました。8人の会社です。それが、今も、在職している会社です。経験者なので、給与も1.5倍になりました。

入社して2年、いろいろと、環境が変わり、戸惑いましたが、思った以上に、仕事をさせていただきました。

 

やはり、昇級で男尊女卑

自分の選択が間違ってなかったと思っていたころ...昇級関係で...また、こんなに小さな会社でも、男尊女卑です。
明らかに、私よりプログラム開発の経験が少ない、悪く言えば、ほとんど、プログラム開発のできない、知識の無いメンバーが私の上司になるのです。ランクが上になったのです。
どうやら、その理由は、将来のある男性だからということです。
ここまで、会社の戦力になっている女性より、やはり、戦力になっていない男性を持ち上げるのです。

もう、ここで、プッツンでした。
どんな会社でも、3年は、いようと決めていたのですが、退職することを決めました。今度こそ会計士をめざそうと、

このころには、日商1級が合格圏内でした。(2年もかかってしまいました^^)

このころの日商1級は、合格率平均10%、問題が難しい場合もあり、合格率4%とという年もありました。科目は、商業簿記、工業簿記、会計学(理論)、原価計算とあり、各科目1科目でも基準点に達していないと、他の科目が満点でも不合格となります。商業簿記には、連結決算もあり、会計学は、企業会計原則の丸暗記が必要だったり、試験出題者の分厚い著作本を読破していなければなりませんでした。(今は、難しすぎると、理論形式の問題はなくなっているようです。)1科目づつ試験を受けられる税理士試験より、合格するのは難しいと言われている試験でした。

次に勤める前に、旅行へ

次に勤める前に、少し、休んで、長い旅行に出かけようというのが、この旅行のキッカケです。

会社に、その意を伝えたところ、戦力になっている人間を逃すのが惜しいらしく、一旦、休職で、という扱いになりました。

 

この旅行では、いろいろな目に会いました。いろいろな人に出会いました。人の親切に、こんなに感謝したことも初めてでした。

旅行に出かける前は、こんな状況でしたので、
女性に生まれきてなんて、不運なんだぁ〜、私の将来は、いくら精一杯頑張っても、どうにもならないんだ〜と...ともかく、真っ暗でした。
やる気の無い男性の人達を見て、「君たちは、どんなに幸運に生まれてきたかわかってないのか?」と腹を立て、なぜ、なぜ、なぜだ〜と、もう、人生真っ暗でした。

こんな状況での出発です。気分は、真っ暗でした...

 

中国 バックパックひとり旅で気づいたこと

自分が幸運な人間であること

この旅行で、中国で、いろいろな方と会いました。そこで、一番に感じたことは、日本人に生まれた自分の幸運でした。自分しだいで、チャンスを生かせる可能性を持つ事ができる国に生まれた幸運でした。(このころ中国は、自由化がまだまだの時代でした)

それを気づかせてくれた旅行です。

戻ってからは、また、元気復活、努力努力でした。で、チャンスが巡ってきました。このことは、後で記述します。

 

まずは、準備編からです。