空飛ぶおねえさん旅日記

20代のころ、バックパッカーをしていたころの旅行記です...1980年代です...この時の旅が以降の生き方に影響を与えてくれました

中国日記 書き始めます ... 初めてのバックパック一人旅

初めてのバックパック一人旅 

 以前から、どこかで、いつかは、「何かに書き留めていこうかな。」と思っていました 中国日記 を書き始めようと思います。
この旅行は、会社に1ヶ月のお休みを頂いて、無謀にも、初めてバックパックを背負っての海外一人旅です。(この時は、海外へは、サイパン1回、タイに1回と団体旅行での経験があるだけでした。)

それも旅行先は、一般の旅行客を受け入れるようになって3年目の中国です。それも、フリー旅行の場合は、空路で入国することは許されてなく、香港から陸路で、華僑という形で、入国です。

 

 もう、ずっ--と昔のことです。ただ、人との出会いは、今も昔も何も変わらないと思います。
いろいろな方と出会い、初めて行くところ、初めての経験すること、初めて感じること、充実した1ヶ月でした。

そして、何よりも、自分の凝り固まった考えを変えてくれた旅行でした。

 

中国旅行のキッカケ

まず、この旅行に行くことを決めたキッカケから話ます。

ちょっと長いです。

 

新卒で働き始めて、男尊女卑の壁

当時、コンピュータ業界で働き始めて5年目を向かえておりました。主に大手のメーカーのコンピュータ開発の受託作業を行っておりました。
男女雇用機会均等法なんて、無い時代です、逆に、女性を守るために、看護関係、航空関係者以外の女性は、週6時間までしか残業ができない時代です。
(守っていた会社は少なかったと思いますが、以前に勤めていた会社は、都合が良い時に、これを持ち出していました。)

 

学生時代までは、ほとんど男女平等に扱われ、働きだしとたんに突き落とされるのです。それに直面するたび、どうしようもないくらい、先が真っ暗になりました。

 

仕事がしたくて、勉強、勉強

それでも、働きだして、仕事がしたくて、頑張りました。人が飲み会に行っていても、あさりました、当時のコンピュータのマニュアルをキングファイル20冊くらいある英語のマニュアルを読破したりと...ネットなんて無い時代です...ともかく、見つけたものすべてを吸収するように頑張って勉強しました。ただ、人並みに仕事がしたかっただけなのです。

 

女性は、「よりできなければいけない」

当然、同期とは、明らかに差がつき出しました。ところが、まともな仕事が回ってきません...部長に直訴すると、

「女子は、できるだけではいけないんだ、よりできなければ」と、

今では、このような言葉は、セクハラです。

 

できるだけではいけない、利益をあげなければ

さらに、勉強を重ね、また部長に直訴です。今度は、

「できるだけではいけないんだ、利益をあげなければ」と、

で、利益を上げるため、抱えている開発作業の納期を半分に縮め、トラブルで抜けた先輩の分まで仕事をしました。週6時間の制約もあるので、自宅に持ち帰って、明け方まで作業をしていました。

ある日、このプロジェクトで、トラブルが発生しました。この当時、コンピュータの処理能力が遅く、重い処理を予約して、深夜作業でこなす形が取られていました。

私たちグループも、この深夜作業を利用していました。

ある日の予約処理を申し込む際、プロジェクトを抜けてしまった先輩が用意してくれた予約カードの中に、恐ろしいカードが入っていることに気がつきました。

私たちのグループの深夜作業ではなく、すべての深夜作業を停止させてしまうカードです。これに私が気がついたのは、すべてのマニュアルをあさった成果でした。慎重に、除いて、深夜作業を申し込みました。

ところが、次の日、工場では、大騒ぎになっていました。全ての深夜作業が停止していると...

私は、慎重に除いていたので、自分たちのグループではないと自身を持っていたのですが...同じグループの同期のメンバーが、真っ青になっていました。

「僕が入れた。君が間違えたと思って...」と、目の前、真っ暗です。

その次に彼が言った言葉も、信じられないものでした。

「男がこんなミスをしたら、大問題で、会社にまで報告がされてしまう。女性の君がやったと言えば、たいして問題にならない」と...

決して、悪い性格の方では無いのです。こういう時代だったのです。もう、この時は、先輩が抜けてしまって、プロジェクトリーダは私だという感覚でいたこともあり、すべての責任をかぶりました。女性がしてしまったことだからなのか....この時は、会社にも報告されなく、大きな問題にはなりませんでした。

その後も、自分を追いつめて、追いつめて、朝、出社時、仕事場の工場を見上げて、「この工場が燃えてくれれば、楽になる」と考えてしまうくらい、必死でした。

 

3年待ってくれ、全社員の前で表彰

このプロジェクトの開発が一段落したさい、

「利益を上げたはずです、良い仕事を下さい、それに、ここまでやって、なぜにボーナスが低いのですか」と、部長に直訴です。

「入社3年間は、皆、ボーナスが同じなんだ、3年待ってくれ」と...
この年の年度末、全社員の前で表彰されました...一番利益を上げたと、金一封、1万円をもらいました...

 

女性の宿泊所の用意はないんだ

そうこうしている内に、この仕事の、現場調整の作業が始まりました。現地で、実際に実機コンピュータでテストを行う作業です。当然、中心で開発した、私も行くものと思っておりました。

ところが、部長に呼ばれ、

「先方が、女性が泊まれるところを用意できないらしい、同期のxxさんに、全部作業を引き継げ」と...

ここまで、手がけた仕事が、最後まで見届けられないのです...自分のプログラムが、現場でどう活用されるかが見れないのです...

会社も、泊まれるように、交渉もしてくれません、変わりがいくらでもいるからです。当時では大きな開発会社でした。

 

3年目で退社

ここにいては、いけないと、だれでもがすぐにできない技能を身につけようと、

3年目に、部長に
「会計士をめざすので、やめます。」

と、新卒で入った会社を3年目で退職しました。