空飛ぶおねえさん旅日記

20代のころ、バックパッカーをしていたころの旅行記です...1980年代です...この時の旅が以降の生き方に影響を与えてくれました

中国 バックパック一人旅 桂林5日目 鍾乳洞「芦笛岩」観光 , 出発の日

桂林5日目、桂林、最後の日です。深夜、火車で、鄭州を経由して西安に向かいます。
1984年7月13日

 

鍾乳洞「芦笛岩」観光

自転車二人乗り

朝から、石さんの自転車に2人乗りをして、少し離れた 鍾乳洞「芦笛岩」に向かいました。「芦笛岩」は、今回は、桂林市内からちょっとあるし、最初に見た鍾乳洞が、たいしたことなくて、諦めていました。
石さん、桂林に来て、「芦笛岩」を見ないのは、もったいないと...行く事になりました。

電動自転車なんて無いです。石さん、たいへんだったと思います。私は、後ろで楽でした...私たちの自転車の横を、観光バスが、バンバンと、通っていきます。

行列にならばず入場

到着して、一番最初に見たのは、入場するのを待っている長い行列です。さきほど行った観光バスの外人さん達も並んでいるようでした。

これだと、1時間待ちくらいかな....
と思っていたら、石さん、行きましょうと...
誰かに合図します。なんと、待たずに、裏口から入れてしまいました。
昨日の夕食の件といい、もしかしたら、石さん、桂林では、結構、顔が効くスゴイ人なのかもしれません...

鍾乳洞は、最初に見た七星公園のものとは、全然違い、とてもすばらしかったです。
ただ、あんなに、電飾で飾らなくてもと思いました。

 

ホテルで休憩

鍾乳洞観光が終わって、日本語を話すのに、疲れてしまって...石さんと別れて、ホテルで少し休憩です。
石さんと話す時は、日本語の文法を出来る限り、守って話していました。
少し、略して、話すと、通じない事が多く、このくらいの文章なら大丈夫かなと...いつも考えながら話していて、疲労が、溜まってきてしまって...17時くらいまで、ホテルの椅子で休みました。

 

出発

兌換券に両替

17時に石さんとギャラリーで待ち合わせて、お礼に銀行で、石さんの持っている日本円を兌換券に交換しました。

ギャラリーで日本人から日本円でお土産を売っても、中国の方だと、銀行では両替できなかった時代です。日本人のバックパッカーの一部の方達は、手数料を貰って、両替をしていたようです。

で、またレストランで、ゴチソウしてもらって、本当に感謝です。

火車の駅へ

21時ごろ、荷物を纏めて、火車の駅に向かいました。まだ4時間あります。

外の涼しいところで、石さんの日本語の勉強をしていました。
すると、そこに、日本の方が、後ろからニュッと顔を出して、話しかけてきました。
2月ごろから、インド、パキスタン東南アジアを回ってきて、中国が最後だという方でした。女性の方と2人で回っているようです。インドの方の身なりをしていましたので、ちょっと引いてしまいました...
少し話して、去っていきました。

この方達とは、西安のCITSで再会します。少しの間、いっしょに旅をしたり、別れても、行く方向が同じだったので、再会して、また、食事をいっしょにしたりとしていました。

この時のことを あとで、聞いたのですが、日本人の女性がひとりで、中国の方と親しげに話していたので、心配になって話しかけたそうです。
いっしょに話して、石さんが、とても誠実そうな方だとわかったので、大丈夫だろうと、安心して離れたそうです。
今思えば、いろいろな所で、皆に心配されていたんだろうと思います。

23時ごろ、列車が来て、石さんに何度もお礼を行って、別れました。
本当に感謝です。今、どうされているんでしょう...