空飛ぶおねえさん旅日記

20代のころ、バックパッカーをしていたころの旅行記です...1980年代です...この時の旅が以降の生き方に影響を与えてくれました

中国 バックパック一人旅 桂林4日目 レストラン

桂林4日目 午後です。午前中は、やっと次の目的地西安の乗り継ぎとなる鄭州までの火車(列車)のチケットを手に入れる事ができました。
1984年7月12日

ハイカラなレストラン

帰り道、アイスキャンデーを購入する。今度は1角だ〜。だんだん下がってきた。一体、いくらなんだろう?
ホテルに戻る途中、メイン通りに LaLa Cafeという横文字の珍しいレストランがあったので、このお店に入ってみた。
ワーイ、サンドイッチがあるぅ。頼んでみた。
コッペパンがスープみたいのに少し、浸かっていて、パンの上が少し、スライスされていて、トマトとxxxがのっているだけのものが出てきた...何も挟まっているようなこともなく、とてもサンドイッチという形のものでなかった。

でも結構、美味しかったです。

 

動物園

15時に石さんとホテルで待ち合わせて、桂林動物園に向かいます。

ホテルで、待ち合わせと行っても、この時代は、中国の方は、外国人用のホテルの敷地内には入れませんでした。門のところで、待っているのが精一杯でした。

ホテルも、お札と同じように、外国人用と中国人用と明確に分けられていました。

石さんから、パンダは、朝しか起きてないですよ。と聞いていたのですが...やっぱり寝ていて、見れなかったです。残念です。
石さん、パンダを見たがる日本人が不思議なようでした。中国では、他にも動物園に行ったのですが、猿山が大人気でした。パンダを見ているのは、本当に日本人の観光客(つまり、私だけ)でした。
他には、目新しい動物はいなかったです。

この日は、いろいろな動物がいましたので、石さんの日本語の勉強にちょうど良かったです。

 

現地のレストラン

物乞い

日本語の勉強のお礼にと、現地の皆さんが良くいくレストラン?で、石さんにゴチソウしていただきました。

このレストランの周りには、物乞いの方がたくさん居て...10人以上はいました...
時々、ここまで行った観光地でも見かけていたのですが、観光地では、この方達は、見つかると、係の方に追い払われていました。何か、見ては行けないもののような感じで...暗い感じになりました。
このレストランの周りの物乞いの方達は、追われることはなく、結構堂々としていました。恐らく外国人の多く居る場では追われてしまうのだと思います。

私が学校で受けた教育は、中国は社会主義の国で、国が国民を保護して、皆平等に生活していると、教わっていたので、この国自体に物乞いがいることに驚きました。

石さん たくさん注文

石さんが、美味しいと思っているものを、たった2人なのに、沢山注文します。
中華料理が大皿で8皿くらいでてきたかと、それに白米、ビールと...
冷蔵庫が、まだまだ一般には、普及していないようでした。ホテル等では、冷えたビールが出てくるのですが、中国の方がいくレストランでは、冷蔵庫が無く、生暖かいビールがでてきます。でも精一杯工夫して冷やしているらしく、石さん、冷たくて美味しいでしょうと...珍しい食材を、ひとつづつ説明してくれます。
料理は、本当に美味しかったです。

食べ終わると...

一生懸命食べたのですが...やはり食べきれず、大半を残してしまって...
石さんに「もう十分ですか?美味しかったですか?」と聞かれたので、
「美味しかったです。ありがとうございます。」と答えたところで、
石さんが、ニコとして、その次に、テーブルを指して、だれかに何か合図を送りました。

唖然です...

私たち2人のテーブルの少し下がった周りで、さきほどの物乞いの方達が囲んでいたのです。一生懸命食べていたので、気がつかなかったです。
その方達が、慌てることなく、普通に、そこで、座って、食事を始めたのです。
私たちの食べ残しを...食べているのです。
お店の方達も観光地のように追い払うことはしません。
不思議に思ったのは、物乞いの方に混じって、普通の人も同じ席にいました。
石さんも、さあ行きましょうと、私の椅子を引いてくれて...
私は、驚いているのですが、石さんもまわりの中国の方達も、これが普通のことのように対応しています。

衝撃を受けました

以前、小さいこと、物乞いの人達を日本でも見たことがあります。日本では、その方達を自分たちとは、違う世界の人と、一歩引いてみていたと思います。

でも、ここではそんな感じを受けなかったです。皆、同じ国民という感じを受けました。
何か衝撃を受けました...