空飛ぶおねえさん旅日記

20代のころ、バックパッカーをしていたころの旅行記です...1980年代です...この時の旅が以降の生き方に影響を与えてくれました

中国 バックパック一人旅 出発の日、パンアメリカン航空で香港へ

お一人様ツアーで、出発です。 

飛行機内

外人さんだらけ

この時に利用した航空会社は、今はもう無い パンアメリカン航空でした。スチャーデスさん(この当時は、客室乗務員とは言いません。)、パーサーさんも皆、アメリカの方で、日本人は、おりませんでした。周りのお客様も皆、外人さんでした。ただ、アナウンスだけは日本語でしてくれるので、助かりました。

隣に座られた、ご夫婦が、いろいろと話しかけてくれました。
「休みなのか」「どこに行くのか」「ひとりなの」と...
英語で、すごいです。言っていることが、理解できるのです。英会話学校以外で、英語で実践していると思うと、それだけで、感動してしまいました。
「ひとりで、中国をまわる。1ヶ月くらい」「シルクロードの方に行くんだ」と答えると、だんなさんが、目を丸くして驚いておられて、「気をつけて、行くんだよ」と優しく言ってくれました。
とても、仲が良いご夫婦でした。とてもとても元気付けられました。

機内食

ほとんど寝ていなかったため、すぐ寝てしまい、スチャーデスさんに起こされました。
「ステック or チケット?」と話しかけられ、
何だろう...ステックなんて持ってないし、帰りのチケットは、上海で貰うことになっていて持っていないし...しばらくボ〜としていたら、良い匂いが...
「ステーキ or チキン?」だ〜と、
で、ニコニコしながら「チキン」と
すると、スチャーデスさんも、ニコニコして、「OK」と、
人の笑顔とやさしさが、緊張をどんどんほぐしていってくれました。
この機内食、日記には、

以前食べた日本航空のより美味しかった

と書いてありました。

 

香港到着

啓徳空港 入国審査

啓徳空港に到着です。啓徳空港は、話に聞いていた通り、ビルの隙間をぬって、飛行機が降下します。乗客が高度を下げるたび、声をあげていました。感動です。ひとつひとつに感動してしまう自分がいて驚いています。

入国審査も英語でやりとりでき、どんどん自信がついていきました。
手荷物検査で、突然、日本語で
「どこから来たのですか?」と聞かれ、理解できなくて、ちょっとボーゼンとしていて、日本語と気付き、「日本です」と答えました。

日本を出てから、すべて英語で対応してきたので、日本語で聞かれ、わからなかったのです。

日本で、英会話学校で勉強していた時は、英語で聞かれ、頭の中で、日本語にそれを訳して、日本語を英語にして、話すということをしていました。

ところが、今日は、英語で聞いて、翻訳もせず、英語で答えてきていたのです。それに気がつき感動してしまいました。すごい自分と...

タクシーでホテルへ

さあ、タクシーでホテルに移動です。
タクシーに乗車して、超緊張です。どこかに売られると...
気がついたら、体いっぱい、緊張していて、両手が握りこぶしでした。
しばらくして、華やかな光景が目に入ってきました。初めて見る光景です。電飾の豊かな看板が、道路の上に、次から次へと、目まぐるしく、現れるのです。
もう、ワ〜イワ〜イ状態です。
ところが、突然、暗がりにタクシーが滑り込むのです。
エッ売られるの〜状態です。
運転手さん、「ホテル」と、
でも、外には、ホテルらしき建物がなく、
「ホテル?」と聞き返すと、また「ホテル」と、
どう見ても閉店したショップがあるようにしか見えない...
で良く見ると上の方に、インペリアルホテルと書いてあり、ドアはが黒いガラスだったということがわかり、一安心です。小さな入り口です。ヒルトンとかハイアットとかの入り口を想像していたので...

運転手さん、勝手にチップをとって、ニコニコと「サンキューバイバイ」と...
何か、今日は、笑顔にホッとしたり、感動したりしてしまう。

 

この日は、すべてが感動

ホテルにチェックインして、部屋に入りました。
成田を出てから、この日に使った日本語は、「日本です」だけでした。英語が使える自分に感動です。
気分は、この日にあった人たちの笑顔に救われて、暗さは、少し失くなってきていました。日記には、

昨日の暗い気持ちが半分消えてきた。でも、まだ暗い。何かトルファンが遠くになって行く。1日目でメゲてもしょうがないんだ、最大の目的地なんだから、絶対に行くんだ〜。

と書いてありました。
今思うと、笑顔の大事さを生まれて初めて、気づかされた日だったと思います。